(;^Д^)「………顔が痛い」
ボクは運動場の壁にもたれかかって、3番さんが相撲で他の受刑者を次々とぶん投げるのを
ぼんやりと眺めていた。
運動の時間だが体を動かす気になれない。
今朝からずっと顔の右側の謎の痛みに悩まされているのだ。
顔…うーん、顔というかノド?アゴの下かな。
肩も凝ってる。頭痛もする。寝違えた時のような辛さ。
(;^Д^)「うううう…」
保冷剤が欲しい。ノドにひんやりとしたものを押し当てたらどんなに楽だろう。
―――ふと、
僕は自分から2メートル程右手に、同じように座り込んでいる人物がいることに気がついた。
40代前半、くらいだろうか。
丸顔と細い手足が特徴的な小男で、ぴくりとも動かず空を見つめている。
…ああ、そうだ。あの表情。
ボクは思い出した。あの人は見たことがある。
ここに入所した日、刑務官に連れられ廊下を歩いているときに目が行った人物だ。
ボクはあの時、彼のことを刑を受けた後の人かと思ったのだ。
あまりにも、何もない顔をしていたから。
('A`)「あんたはやらねぇのか」
(;^Д^)「わあああっ!!」
不意に声をかけられ、ボクは思わず声を上げてしまった。
しゃべるんだこの人!
あまりに動かないから精神にハシビロコウが宿ってるんじゃないかと思ってしまっていた。
('A`)「相撲。」
3番さんたちを指さす左腕には「60」の番号札。
表情はやはり空虚なままだ。
(;^Д^)「あっ、いやっ、その…ボク今日体調悪いんですよ。
顔半分が痛くって…」
('A`)「顔半分…」
60番さんは初めてこちらを向いた。おもむろに立ち上がり、よったらよったらとこちらに歩いてくる。
そしてボクの真正面にしゃがみこみ…
(;^Д^)「あがっ!!!」
いきなりボクの口の中に親指を突っ込む。
変態!変態で捕まったのかこの人!
('A`)「ここか?ここが痛えんだろ」
(;^Д^)「あだだだだだだ!!」
60番さんの親指はボクの口の中で、奥歯の後ろをグリグリした。
決して鋭くはない、しかし耐え難い痛みがノドに広がる。
('A`)「pericoじゃね?」
(;^Д^)「ぺり…?」
やっとボクから離した指を、60番さんは壁にぬりつける。
('A`)「智歯周囲炎。親知らずの周りの歯肉に雑菌が入ったんだ。
医務室行って抗菌薬出してもらえ。楽になる。
ただ…」
(;^Д^)「ただ?」
('A`)「俺の言うことは信用するな。」
なにそれ。
どうすりゃいいのボク。
60番さんはえっちらおっちらと、今度はボクの左側に腰掛ける。
('A`)「とりあえず、親知らず横に生えてるってことは言っとく。ここ出たら親知らず抜きに行けよ。」
(;^Д^)「覚えてられないですよ…」
('A`)「じゃあここで抜くか?」
えっ
('A`)「中世じゃ抜歯は見世物だったらしいぞ。
麻酔なしで無理やり歯をこじり出してな。
痛みに悶え苦しむ様を観衆が笑って傍観するそうだ。
歯の根元に鉄製の器具を押し当てて、グリグリギチギチと…」
うぎゃあああああああ
ボクはついついアゴを押さえて後ずさってしまう。
('A`)「冗談だよ。」
意外と饒舌な人だ。
('A`)「器具も無いのにできるわけがねえ。」
(,,^Д^)「…歯医者さん、ですか…?」
('A`)「………」
('A`)「歯科医がこんなところにいるわけねぇだろ。」
60番さんは頭をコンクリートにもたれかけさせる。
('A`)「ダチに歯科医がいてな。教わったんだ。」
その目は今にも閉じそうで、物思いにふけっているようにも、視界を拒んでいるようにも見えた。
(,,^Д^)「オトモダチ…」
('A`)「どこにでもいる普通の歯科医だよ。下積みもそこそこに地元で開業してな。
親の世話しながら汗水たらして働いてたよ。」
('A`)「でも、落ちぶれた。」
それは、抑揚の全くない、淡々とした口調だった。
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――――ことの始まりは、いつだったかな。4年くらい前だったか。
一人の「患者サマ」がそいつの医院に来院した。
虫歯の点検と歯の掃除が希望をしていて
口を開けてもらうと、まあキレエなもんだ。
歳のわりにゃ歯周病も進んでねえし、清掃状態も良好。虫歯も小さなやつが1本だけ。
治療を急ぐようなもんでもなかったんで次週にまわし、その日は患者が希望する歯の掃除をして帰した。
次の週、その患者サマは予約時間30分遅れで来院した。
…まぁ、イラっとはしたけどな。そんなことにいちいち怒っちゃいない。
簡単な治療だったし、ちゃっちゃと虫歯ほじくってちゃっちゃと詰めた。
そして「お大事に」の一言を言おうとしたその時、患者サマはこんなことを言い出した。
「なんだか、歯茎が黒い気がするんだけど。」
たしかにそうだった。
左上の前歯、歯の根元の歯茎が少しだけ黒ずんでいたんだ。
「メタルタトゥーだ」
そいつは思った。
「メタルタトゥー」
今でこそ虫歯の治療は樹脂やら陶材やらの白い材料が主流だが、
30年前なんかは、口の中に金属が使われていた。
ジジババの口の中みりゃ、たまに見つかるよ。
そういう被せものの金属成分が歯肉内に溶出し、黒いあざのようなものをつくるときがある。
その患者サマの歯にも、それが被さっていた。
そいつは言ったよ。
「これは被せものから来るシミです。
体に害は無いと思われますが、急速に拡大したりするようなら別の病気かもしれません。
そういう場合は口腔外科を受診してください。」
――――それから1年半くらいかなぁ。
医院のドアをドンドンと激しく叩く音がした。
それは1年半前に来たっきりのあの患者サマ。
ドアを開けるなり、患者サマは今にも殴りかかりそうな形相で
そいつに詰め寄ったよ。
「あんたの誤診のせいで、私は死ぬんだ!」
…そう、「別の病気」だったんだ。
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('A`)「悪性黒色腫。ほったらかしてたんだろうな。かなり進行していたそうだ。」
(,,^Д^)「あくせい…」
('A`)「癌だよ。足の裏の発症が多いんだが、まれに口の中にもできる。
口の中にできちまうと、なかなかメタルタトゥーとの見分けがつかない」
(,,^Д^)「癌って、…死ぬんですか?」
('A`)「そうだよな、その考えが普通だ。
悪性黒色腫は悪性度の高い癌で、かなりの確率で死ぬ病気だった。昔はな。
NSDSの技術が拡大してからは、癌の致死率は大幅に下がった。
今や癌は“見つかれば確実に治る病気”だ。」
(;^Д^)「エヌエス…」
('A`)「nanostructure delivery system(ナノ構造物配送システム)
一般的に言やあナノマシンだ。」
(,,^Д^)「ああ、ナノマシンですか。
忘身刑にも使われてるっていう…」
('A`)「はは…ああ、それだよ。」
(,,^Д^)「…でも60番さん、その患者さんはなんで死ぬなんて言ってるんですか?」
('A`)「うん」
(,,^Д^)「それに、誤診といっても歯医者さんは“別の病気かも”って言ったんですよね。
それって…」
('A`)「誤診じゃねぇよ。そいつは一般歯科医として言うべきことを言ったんだ。
なんでも目で見て分かるもんなんて限られてる。不安なもんは専門医へ。
医療連携ってやつだ。
ただな、その患者サマにはそんな理屈は通用しなかった。
“モンペ”だったんだよ。」
(,,^Д^)「モンスターペアレント…」
('A`)「モンスター“ペイシェント”だ。」
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「癌」が治る病気とは言えど、治療のために金はかかる。入院はしなければいけない。
もしかしたらその患者サマは、医療費をせしめ取ろうとしていたのかもしれない。
裁判を起こされそうになったが、なんとかかわせた。
記録が残ってたんだ。「範囲が広がるようなら口腔外科へ」って説明したことのな。
危なかったよ。それがなければ一発KOだった。
…ただ、それからが本番だった。
毎日くるようになったんだ。その患者サマは。
毎日毎日毎日毎日毎日毎日、
いつ来るかはわからない。
唐突に現れて、他の患者の前でわめきたてる。
「ヤブ医者」
「人殺し」
「冷血漢」
「能無し」
「潰れろ」
「死んじまえ」
営業妨害?ちがう。信用問題だ。
このことで離れていく患者が何十人いたか。
…泣いたよ。
あの人は、虫歯が多かったけどがんばって通ってくれて、あと一本だったのに。
あの子は泣いてばっかりだったけど、やっと笑顔で来てくれるようになったのに。
あの人の入れ歯、大丈夫だろうか。痛みが出たりしてないだろうか。
ちゃんとよその歯科に、かかっていてくれればいいけど…
スタッフの疲労も限界に来ていた。辞めてく奴もいた。
…しょうがねえよ。
院長のそいつだって、疲労困ぱいだ。
患者サマの行動は日に日にエスカレートしていった。
恨み節が綴られた手紙が医院ではなく実家の郵便受けに入っていたときは
流石にぞっとした。
家族の身に何か起こったら…
背筋が凍るってのは、本当にあるんだと思った。
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('A`)「やがてそいつは、患者を診れなくなった。」
('A`)「口の中を診るのが怖くてたまらない。
どっからどう見ても虫歯の痛みなのに、違うんじゃねえかと疑ってしまう。
ただの口内炎が唇にぽつんとあるだけで吐き気がする。
…完全に、自信を失っていた。
いや、ちがうな。あれはもう、精神が参ってたんだ。」
60番さんはいつのまにか、目を固くつむっていた。
ぎゅっと歯を噛みしめ、膝を立てうずくまる。
その姿は、どこかの誰かに似ていた。
だれだろう。
…もしかしたら、いつかの自分かもしれない。
(,,^Д^)「…60番さん」
悪いとは思ったけど、ボクは聞かずにはいられなかった。
ことの顛末を知りたかった。
(,,^Д^)「その歯医者さんは、なんで罪なんか犯してしまったんですか。
なんで忘身刑なんて、受けることになってしまったんですか。」
('A`)「ふ…ふふ…」
60番さんの肩が、小刻みに震え出す。
('∀`)「んふ…ふふふふ…は!はははははははははは!!!
あはははっは!はーっはは歯歯はハハハ歯ハハ!!」
(;^Д^)「うわあああぁぁぁぁ!!」
なんか変なところのスイッチを入れてしまったらしい。
('∀`)「ははっ!歯歯ハハははハ歯ハ!
ははははははh!あははぁはハ歯ははは歯は!」
サイレンが鳴るにはもうちょっと時間がありそうだったが、
60番さんは、刑務官に連れられて居房に戻っていった。
60番さんに、1日でも早く忘身の日が訪れますように…
つづく
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